皆様、こんにちは!
PEUGEOT大田 本荘でございます。
今回は番外編として広島城をレポート致します。
お城はありますが、木造では無く鉄筋コンクリート造です。
築城主は「毛利元就」孫にあたる「毛利輝元」。
輝元は「豊臣秀吉」に謁見する為上洛、その際に大阪城・聚楽第に感化され、現在の場所に築城致しました。
関が原後は「福島正則」「浅野長晟」と藩主を代え浅野氏で幕末を向かえ廃城になりますが、その後明治政府は日清戦争時に大本営を置き軍の要所としておりました。
天守閣は昭和20年まで残りますが、あの原爆投下と共に消失。
広島復興の印として昭和32年に外観復元城として再建されました。
やはり、お城は少し離れた場所からの景観が良いですね。
ここは、内堀からの撮影なので、当時自分達と同じ一般庶民は、外堀の外側からしか見れなかったのでしょうね。
原爆で焼失した二の丸の表御門・平櫓・多櫓・太鼓櫓は、戦前の写真・図面や発掘調査の成を元に平成6年(1994) までに、木造で江戸時代の姿に復元されています。
この画像は、ただの木?と思われるかもしれませんが、被爆しても尚頑張って生き続けている
「クロガネモチ」の木です!!!
この木を見ていると、なんとも言えない気持がこみ上げて来ました。
広島市を後にし、呉市までやって来ました。
これまた、ただの造船所と思いきや、戦艦大が造られたドッグです。
この他、現在でも海上自衛隊や海上保安(海猿)の基地が在りました。
次回はこの呉市から船に乗り四国へ上陸!松山城のレポートです。
お楽しみに~。